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私たちの礼拝堂のプロフィール。

この礼拝堂は、以下の教会が進めている「郊外伝道プロジェクト」の一環として建てられました。

・日本基督教団五反田教会

・日本基督教団センター北教会

・日本基督教団玉川平安教会

 (2014年現在3教会)

郊外伝道とは
 

かつて2000年前のエルサレムには、まばゆい神殿がありました。その「都市宗教」を脅かす勢力は、(1)ローマ帝国と(2)キリスト教に分けられます。紀元70年過ぎ、(1)の勢力によって神殿は崩壊します。神殿の信仰を継承したのが(2)、すなわち私たちキリスト教です。まばゆい「神殿(神の宮)」から、「キリストのからだ(教会)」への転換こそが、ユダヤ教からキリスト教への転換なのです。教会の起源は、イエス・キリストが十字架についた「ゴルゴタの丘」にあり、私たちは「郊外からの福音としての宗教」の出発点を十字架に見出しています。

そしてさらに、現代世界において類を見ないメガロポリスである日本の首都圏は、それ全体が「大きな郊外」であるといってもよいかも知れません。

礼拝

使われるのは、

聖書(新共同訳、日本聖書協会)

讃美歌(1954年、教団出版局)

です。

日本におけるキリスト教
 

カトリック伝道の開始

1549 - 現在

2010 - present

1517年に始まった宗教改革は、ローマ・カトリック側にまず世界宣教への志を与えました。いち早く日本に到来したカトリック宣教師の中ではフランシスコ・ザビエルが有名です。彼らは大名などの指導者に伝道する一方で、大衆への伝道にも力を入れ、日本全体で5%を超えるといわれる信者を一時期は生み出しましたが、ご存じの通り江戸時代にはキリシタン禁令が出され、背いた者達を弾圧します。こうして地下化した信仰者を「隠れキリシタン」と呼びます。彼らはたとえば「マリア観音」によって弾圧の目を逃れつつ、父祖の信仰を受け継ぎました。やがて1872年に禁教令が解かれ、フランスから来た司祭が「隠れキリシタン」へローマ教会への復帰を打診します。ところがそれに応じず、土着化した信仰にとどまる人たちが現れました。彼らからすれば、ヨーロッパの人が突然やって来て、「あなた方の本家は実は私たちだ」と言っている訳です。

2010 - present

プロテスタント伝道の開始

1859 - 現在

プロテスタント側の伝道はもっと慎重で、「日本人の手による教会建設」を比較的早くから目標に掲げました。その前史としての日本に関わる伝道は、1846年の琉球(当時は島津藩が支配)伝道を嚆矢とします。本格的な開始は1846年の万国福音同盟発足に際しての「開国間もない日本へ福音を」というかけ声をきっかけに、1859年にプロテスタント諸教派の伝道が一斉に始まります。そして1972年に横浜の地に日本人が建てた初めての教会が完成します。横浜は文化の輸入地であり、福音の移植地でありました。

日本基督教団の始まり

1941(1945) - 現在

プロテスタントの最大教派であり、1700余りの教会によって成り立っている日本基督(キリスト)教団は、1941年に三十数余の教派が大同団結して成り立ちました。戦後に法的な連続性は一旦解消して、再合同して現在に至ります。

郊外伝道を担う諸教会
 

玉川平安教会

1936 - 現在

玉川平安教会は元々は銀座教会(日本メソヂスト教会)の開拓伝道として世田谷・奥沢の地に「日本メソヂスト教会田園調布講義所」として建てられました。現在の牧師は藤田義哉・山口隆康(東京神学大学名誉教授)です。

五反田教会

1986 - 現在

五反田教会は元々は品川教会(旧日本基督教会、当時日本基督教団)から分かれて品川の地に建てられました。現在は戸越銀座の地にあります。牧師は山口隆康です。

センター北教会

2007 - 現在

センター北教会は、2003年10月に山田富士山頂で捧げられた祈りから始まり、横浜歴史博物館前の「センター北駅前礼拝堂」を最初の礼拝堂としています。現在は中川5丁目に会堂があります。

 

「郊外伝道」に教職として関わるのは以上の二名に加えて、小泉健(前センター北教会牧師・現東京神学大学准教授)で、それにくわえて数名の伝道主事がいます。私たちの教会はしかしさらに、「共同牧会役員会」(合同役員会)を持ち、教会役員(長老)と牧師が一体となって伝道と牧会を進めています。2013年4月に出来た「東山田礼拝堂」もその精神の元に建てられました。

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